雄武町・探偵事務所のつぶやき話 二度目の涙はもっと辛い

(株)アイシン探偵事務所  代表の高橋です。

当社は雄武町を含め、北海道全域で様々な調査を承っております。

配偶者の浮気が発覚する。

信じていた相手の裏切りに戸惑い、苦悩する。

だが離婚すれば良いという短絡なものでもない。

アナタは心の涙を流しつくす。

そして信じよう・・・

もう一度、やり直してみよう・・・・とその涙を拭う。

これで解決をすれば良いのだが探偵はその後の涙をたくさん見てきています。

もう相手とは会わない・・・・

もう浮気はしない・・・・

これからは家庭を大切にする・・・・

浮気をした配偶者の言葉を信じていたが、その言葉は真実ではなかった。

形を変え浮気という裏切りが続いていた。

そしてアナタは二度目の涙を流してしまう。

そんな例をたくさん見てきているのです。

探偵はハッキリと言います。

一度目の涙も辛いが二度目の涙はもっと辛いのです。

配偶者の浮気問題に直面した場合、そのことを知っておいてください。

 

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興信所・雄武町のつぶやき話 アナタのその悩みは永遠ではありません・・・・・

(株)アイシン興信所  代表の高橋です。

当社は雄武町を含め、北海道全域で様々な調査を承っております。

今、浮気や離婚で悩んでいる方へ。

アナタは今の辛さが永遠に続くと感じているかもしれません。

ですが今の辛さが1年後も同じ辛さではないのです。

私は長くこの探偵業に従事しています。

たくさんの依頼を受け、その後の依頼人とも交流させていただいています。

その依頼人の方々たちは直面した問題を紆余曲折はありますが

必ずその問題の出口を見つけています。

今のアナタの辛さも必ずアナタ自身の出口が見つかります。

今は辛く笑顔をなくしているアナタも一年後にはやっぱり笑顔になっているのです。

アナタのその悩みは永遠ではありません・・・・・

 

 

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探偵事務所・雄武町のつぶやき話 自分の浮気がバレると離婚請求・・・

最近、自分で浮気をしておいて、

その浮気がばれると自分から弁護士を立てて

離婚訴訟をしてくるケースが増えています。

呆れた話である。

司法改革制度で弁護士が増え、弁護士が余ってきているのか

そのような有責配偶者の離婚請求に着手する弁護士がいるのでしょう。

例外があるにしても、基本的に有責配偶者(浮気などをして責任のある方)からの

離婚請求は認められません。

浮気をした方は自分の都合のよい言い訳を考えて離婚訴訟を起こすより、

裏切った相手に謝罪をし、離婚をしてもらうことを考えた方が得策です。

犯した罪を覆い隠し、法律を使って逃げようとしても無駄です。

 

 

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探偵事務所・興部町のつぶやき話 どうしてもダメなら「離婚」

当社には毎日、たくさんのご相談が寄せられます。

その中でやはり多いのが浮気問題です。

自分ではどうしてよいのか分からず、

友達、兄弟、親、先輩などなど話を聞いてもらえる人に相談をする。

でも人によって答えてくれるアドバイスが違う。

自分でどうして良いのか分からず、悩みの中をさまよってしまう。

そのような人の共通点として、「覚悟が定まっていない」ことが多いです。

浮気問題においての覚悟はやはり「離婚」です。

相手が開き直ってきたら「離婚」。

どうしてもダメなら「離婚」。

アナタの覚悟が決まった時、アナタは悩みから解放され、問題の解決に進めます。

 

 

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探偵(興信所)雄武町のつぶやき話 無駄の勧め

浮気や離婚、失業など様々な問題を抱えている方への無駄の勧めの話。

悩みはどんどん頭の中で膨らんでいきます。

悩みはどこまで行っても悩みに過ぎません。

そんなときに探偵の提案ですが、あえて無駄な行動をしてみてはどうでしょうか。

普段行かない町に一泊の旅行に行く。

普段、降りることのない駅で下車し、ぶらりと歩いてみる。

今、現実的な悩みに直面している方に

そのようなことは確かに何の解決にもならず無駄に思われると思います。

ですが、一見無駄な行動をすることにより、

今のアナタの悩みを客観的に自分自身で捉えることができるかもしれませんよ。

 

 

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探偵(興信所)雄武町のつぶやき話 離婚裁判について

離婚裁判についての話。

当社は様々な浮気調査の依頼をいただきます。

その中には訴訟(裁判)になるケースもあります。

最近、非常に強く思うのは裁判官の状況の精査能力の低さです。

裁判官の人事評価で一番、重要な事が「担当事案の処理能力」と言われています。

どれだけの審判を処理したか?

ですから「たかが離婚裁判」。

とっとと片付けてしまおうと思っているのか?

「たかが離婚裁判」との意識を感じるのです。

原告の心の傷をさらけ出して提出した陳述書をほとんど読んでいない。

裁判を傍聴していると、依頼者である原告が事前に提出してある陳述書を

まるで読んでいないことが分かります。

足利事件のような社会の注目を集めている裁判でさえ、あのずさんな内容である。

たかが「離婚裁判」だとの感覚なのだろうか?

人が人を裁く難しさは相当なものであろうと思います。

だが、それでも裁判に救いを求めている当事者には一生の問題です。

このブログを読んでいただいた方へ。

できれば裁判の傍聴に行ってください。

一人ひとりの意識が裁判の公正を維持することになると思います。

 

 

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